明治21年 | 東京、本郷春木座の歌舞伎役者・市川宗三郎(本名・松本八十吉)、金光教東京教会初代教会長・ 畑徳三郎の講話を聞き、即日入信する。 |
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明治37年 | 松本八十吉、本郷から浦和岸町に転宅。近隣の人々が信心の教えを聞きたいと集まるようになる。 |
明治45年 | 松本八十吉、畑師の奨めにより金光教浦和小教会所を開設。初代教会長となる。 |
大正12年 | 松本八十吉帰幽、75歳。 |
昭和8年 | 豊橋教会出身の教師で事情により本郷教会の修行生となり、苦学して東洋大学に通っていた中島保恵が卒業後に松本家の養子となり、浦和教会を後継。二代教会長に就任。 |
昭和14年 | 長野県松本教会長・伊藤輝太郎の三男・伊藤眞弘(当時11才)、松本保恵の養子に迎えられる。 |
昭和24年 | 戦後の混乱の中、新しい日本を担う子供たちの育成を願った2代教会長の命を受け、当時早稲田大学生だった松本眞弘が講習会を受けてボーイスカウト浦和第4隊を発足、初代隊長に任命される。後にガールスカウトとなる少女会も併設される。 |
昭和37年 | 浦和教会開教50年祭奉行。同年、松本保恵が59才で帰幽。在籍教師の松本眞弘が三代教会長に就任。 |
昭和48年 | 青少年育成の場、信心研修の場として長野県に黒姫研修道場(通称黒姫ロッジ)を開設。 |
平成2年 | 在籍教師の松本光明が教団派遣でシカゴ大学ミードビル神学校に1年半留学。 |
平成6年 | 浦和教会開教80年記念事業として大宮教会が開設され、初代教会長として在籍教師の松本尚が就任。 |
平成20年 | 松本眞弘が教会長を退き、副教会長の松本光明が4代教会長に就任。 |
平成22年 | 大宮青葉園に信奉者奥城(信徒のための共同墓)開設。 |
平成24年 | 浦和教会開教100年祭奉行。 |
平成25年 | 前教会長・松本眞弘、84才で帰幽。 |
金光教浦和教会は明治45年に本郷春木座の歌舞伎役者であった松本八十吉によって設立されました。
八十吉は明治21年に東京教会初代の畑徳三郎師の講話を聞き、天涯孤独であったと思っていた自分が、実は天地の親神のかわいい「いとし子」であったことを悟って、以後、神を親と仰ぎ、師匠の指導を受けつつ、天地の道理に沿った生き方の稽古を重ねていきました。
そこから100年あまりが経ったいまも、連綿と信心が受け継がれています。